« 鎌倉仏教(かまくらぶっきょう)とは | メイン | 前述の1950年の経営危機を教訓とし »

ピュージェット・サウンド海軍工廠で検査され

サウスダコタはピュージェット・サウンド海軍工廠で検査され、公試後8月26日に真珠湾に向けて出航した。ウルシー環礁を経由して真珠湾に到着すると第38任務部隊を構成する第38.3任務群に加わった。任務部隊は10月6日に出撃し、4日後に沖縄に対して空襲を行う。10月12日および13日には台湾の敵艦および施設に対して空襲を行った。サウスダコタを含む3つの部隊はフィリピン東部に後退し作戦活動を12月24日まで行う。この間、ミンドロ島上陸を支援するため空母部隊はマニラ、ルソン島を攻撃した。1944年12月30日から1945年1月26日までの間に空母部隊は1月3日、4日、9日、15日、21日に台湾を、1月6日、7日にルソン島を、12日にはサン・ジャック岬およびカムラン湾を、16日には香港、海南島、22日には沖縄を攻撃した。

サウスダコタは高速空母部隊と共に2月17日に東京に対して攻撃を行い、2月19日および20日には硫黄島への上陸部隊の支援を行った。2月25日に再び東京への攻撃を行い、3月1日に沖縄での攻撃を行う。ウルシー環礁で弾薬補給を行った後、任務群は日本本土へ向かい、3月18日および19日には神戸、呉、九州地区への攻撃を行った。3月23日、24日には沖縄に対して攻撃を行い、サウスダコタは艦砲射撃グループに加わり沖縄南東へ砲撃を行った。その後任務群に再合流し沖縄への砲撃、九州南部の飛行場への攻撃を3月29日、31日から4月3日まで行った。4月7日に空母部隊(第58任務部隊)は九州南西部で日本艦隊への攻撃を行い、戦艦大和を始めとして軽巡洋艦矢矧及び4隻の駆逐艦を撃沈した。

サウスダコタは4月19日に再び沖縄南東に対する艦砲射撃に参加し、敵と対峙する XXIV 軍の支援を行った。
日本の物語
私たちの憲法
ハムスター
大気のお話
住宅用語
野菜事典
知って得証券語
南北朝時代
栃木の湯めぐり
蘭の世界紀行
空手道
歯周炎
植物園
銀行
商社
フェンシング
アパレル
映画祭
肝炎
お化け屋敷

5月6日、ランゲル (USS Wrangell, AE-12) からの補給中に16インチ主砲装薬庫の爆発事故を生じ、火災と共に装薬庫4室が爆発した。二番両用砲は氾濫し火災は鎮火した。3名が即死し、8名が負傷のため死亡、24名が負傷した。サウスダコタは5月11日から29日までグアムに後退し、その後レイテ島に6月1日到着した。

サウスダコタはレイテ島を1945年7月1日に出航し、7月10日に東京空襲を行う第38.1任務群の護衛を行う。7月14日、岩手県釜石市の釜石製鉄所に対する砲撃を行う。これはアメリカ戦艦による日本本土に対する初の砲撃であった。7月29日および30日の夜には静岡県浜松市への砲撃を行い、8月9日には再び釜石を砲撃している。8月10日には本州北部への空襲を行う空母部隊の護衛を、8月13日と15日には東京空襲部隊の護衛を行っている。15日の攻撃は太平洋戦争における最後の攻撃で、同日日本は降伏した。

サウスダコタは8月27日に相模湾に停泊し、8月29日に東京湾に入る。9月20日に東京湾を出航し、沖縄、真珠湾経由でアメリカ西海岸へ帰還する。10月29日にサンフランシスコからサンペドロ湾へ移動する。1946年1月8日に西海岸を出航、オーバーホールのためフィラデルフィアへ向かう。6月に大西洋予備役艦隊入りし、1947年1月31日に予備役となる。1962年6月1日に除籍されるまでそのままの状態で保管される。1962年10月25日にサウスダコタはルリア・ブラザース・アンド・カンパニー有限会社にスクラップとして売却された。

サウスダコタは第二次世界大戦の戦功により13個の従軍星章を受章した。

About

2009年06月10日 06:50に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「鎌倉仏教(かまくらぶっきょう)とは」です。

次の投稿は「前述の1950年の経営危機を教訓とし」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35